奥野卓志さんの花束投げ捨てが話題となっています。
奥野卓志さんは、9月25日・さいたまアリーナで行われた【超RIZIN】メイウェザー選手と浅倉未来選手という注目されていた試合開始前のイベントで、メイウェザー選手へ渡すはずの花束を投げ捨てるといったショッキングな出来事を起こしてしまいました。
そんな奥野卓志さんですが、先祖にものすごい方がいらっしゃいます。その方は元首相の吉田茂も認めた土佐の交通王なんです。どんな先祖なのかきになりますよね!
それではみていきましょう!
奥野卓志の先祖がやばい!先祖は土佐の交通王の野村茂久馬!
奥野卓志さんの曽祖父は「野村茂久馬(のむら もくま)」さんとおっしゃいます。
奥野卓志さんが動画で証言されています。
野村茂久馬(のむら もくま)?と聞いてピンとくるひとは少ないのではないでしょうか?
じつは「野村茂久馬」さんは高知県では超有名な実業家。数々の会社を設立されました。
土佐沿岸汽船株式会社・設立(1920年)
高知工作所を買収し海陸運輸関連事業拡大(1921年)
坂本龍馬先生銅像建設会の会長職に就任(1927年)
そして野村茂久馬さんは、実業家だけではなく、貴族院議員として1932年に就任されています。
貴族院議員に選ばれた理由は、高知県多額納税者として選び出されたとの事。
よほどのお金持ちだったのでしょうね。
そして、1933年には、高知商会会議所会頭になっています。
実業家でもあり議員でもあるとは、めちゃめちゃマルチに活躍された方だったことがわかりますね。
1900年代の前半から中盤にかけては、日本は戦争中。
その戦時中に陸、海の運輸を担っていただけあって、当時の日本ではかなり大きな組織だったようです。
野村茂久馬さんは終戦(1946年)にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示により公職追放され、引退されています。
奥野卓志の先祖がやばい!先祖は吉田茂元首相も認めていた
奥野卓志の先祖、野村茂久馬さんですが、昭和35年(1960年)2月11日に90歳でなくなられています。
野村茂久馬さんの弔問には、吉田茂元首相も弔問に訪れています。
同じ高知県出身ということもあり、吉田茂元首相の選挙支援もされていたそうで礼状をいただいたこともあるようです。
まとめ
奥野卓志さんの花束投げ捨てが話題となっています。
奥野卓志さんは、9月25日・さいたまアリーナで行われた【超RIZIN】メイウェザー選手と浅倉未来選手という注目されていた試合開始前のイベントで、メイウェザー選手へ渡すはずの花束を投げ捨てるといったショッキングな出来事を起こしてしまいました。
そんな奥野卓志さんですが、先祖にものすごい方がいらっしゃいました。その方は元首相の吉田茂も認めた土佐の交通王の野村茂久馬さん
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