Kvi Baba

liner notes

「Happy Birthday to Me」

気鋭のラッパーから、時代のサウンドトラックを表す存在へ。Kvi Babaは繋ぐ。ロックもラップも繋ぐ。絶望を希望へ繋ぐ。今を必死に生きる人、一人ひとりを繋ぐ。

Kvi Babaの歌の在りかが明確な変化を果たした作品だ。『Happy Birthday to Me』。タイトルが表している通り、音楽的な生まれ変わりと、ずっと心の奥にあった本音=本来の自分との対話が今作の心臓になっている。これまでは這うように絞り出されていた歌の視線がグッと上がり、ハイトーンかつ晴れやかな声が響き渡る。これまでもタッグを組んできたBACHILOGICによるトラックは、温かな質感のビートを軸としたものへ変化した。<心のどこかじゃ死にたいかも/けど心の大半行きたいんだろ Oh!>(“Fight Song”)というラインが象徴するように、傷や痛みを刻みつけることで自分の存在を表明してきたこれまでとは異なる欲求が、今の彼を歌わせているのである。

「自分を探し続けないと死んじゃうと思うんですよ」。これはKvi Babaと初めて話した際の彼の言葉だ。自分の存在の意味を求め続ける切実さの裏側には、大事なものを救えず自分の無力感に絶望した彼の過去が大きく関係していた。死にたいほどの苦しみに悶え、だけど苦しめば苦しむほど、絶望してしまうだけの希望を抱いてきた自分も認識する。そういう心の揺れと心の傷すらも、音楽と歌の中であれば自分の証に昇華できる――そうしてKvi Babaは音楽に惹かれ、その身ひとつで表現できる「歌」としてのラップに共鳴していった。ラップでありながらも徹頭徹尾メロディアスな歌の在り方、そしてノイジーなトラックは、彼が痛みを負った生活の背景で鳴っていた様々な音楽に由来している。

歌に対して足を止める日本の音楽の視聴環境を享受してきた過程、歌と音に溶けている多様なジャンル感、その一つひとつがKvi Babaの人生背景とリンクし、なおかつ音楽的な可能性となって響いてくる。たとえば前作『KVI BABA』では、クラウドラップのシーンとそのまま共振するような、グシャッとした歪みのギターがフィーチャーされていた。そこに鳴っていた1990年代のオルタナティヴロック、グランジの匂いはそのまま、Kvi Babaというアーティストの可能性と立ち位置を端的に表していたと言えるだろう。

スピーディーに楽曲が世界中へと配信されるストリーミングサービスの台頭、「ここで生きている」という個々の声に光が当てられる時代性も相まって、ヒップホップ、ラップミュージックが時代を席巻した昨今の状況。そうした「体ひとつの音楽」が台頭することは、あらゆる音楽のミクスチャー性が加速することであると同時に、メインストリーム/オルタナティヴの線引きが無効化することでもあった。誰もがひとつのオルタナティヴであり、誰もが世界に対する不安を持っていることが可視化されていく。その重暗い時代の空気に抗うようにして「個の闘争音楽」であるラップミュージックが隆盛し、本来は近い精神性アイデンティティを持つロックと共鳴するのも腑に落ちる。その中にあって1990年代のオルタナティヴロックに精神性・音楽性ともに接続して現れたKvi Babaの存在は、単にクラウドラップとの共鳴によって洋/邦の隔たりを壊すだけでなく、未だロックとラップミュージックの間に大きな溝のある日本のシーンを変えてしまうほどの可能性を秘めていたのである。

その上で、今作『Happy Birthday to Me』の話に戻ろう。冒頭に記した音楽的な変化のきっかけとして、フルアルバムを発表した昨年の末、人間関係や精神的な面での不安定さによって体のバランスを壊してしまったことが大きかったのだと彼は言う。傷や痛みを吐き出し、自分の体に刻みつけて「死にたいと言いたくなるほどに生きたい」と歌うのではなく、「生きたい」という無濾過の本音だけに光を当てなければ本当に消え去ってしまうのだと。生を渇望するためのエネルギーとして用いてきた絶望が現実となった時に、そこに残るのはただ「生きたい」という渇望だけだったのだと。温かみを増してポップという形容すら似合うようになった楽曲たちはむしろ、綺麗事じゃなくひたすら生きていくための切実さを感じさせる。まさにファイトソングなのである。

この曲を通して誰かに寄り添って
この曲を通して孤独を終わらせる
(“Talk to Myself”)

徹底的に己の痛みに向き合ってきた彼だからこそ、誰もが孤独で、誰もが痛みを抱えていて、誰もが生への渇望と死への予感を同じ箱の中に収めていると知っている。ならば、孤独や痛みを共通言語にするのではなく、本当は笑いたいんだという本音だけで手を取り合いたい――そんなふうに、どれだけズタズタになっても最後まで消えなかった希望だけを凝視して、一番綺麗な形の本音だけに向き合ったKvi Baba。綺麗事だけじゃない希望を歌って脱皮を果たした今作は、気鋭のラッパーという形容詞だけでは収まらない活動のスケールと、何よりも彼自身の自由をもたらすだろう。泥だらけの日々を愛で、超えていくためのサウンドトラックである。

text by 矢島 大地 (CINRA.NET)

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